「どうせわかってもらえない」の呪縛

東大生ブログ「東大みおりんのわーいわーい喫茶」

 

最近気にしている自分の心グセがあります。

それは、わたしはいつも他人に対して、「どうせ自分のことなんかわかってもらえない」という前提で対峙しているということ。

たぶんずっと昔からそうだったんだけど、最近は特に「どうせ無理なんだから、わかってもらうための説明にコスト(手間や時間)をかけたくない」と思ってしまいます。

 

何気ない場で、自分の説明をするのはとても面倒くさい。だいたいいつも共感されることはなく、「そんなこと考えるの?」「なんかすごいね」「変わってるね」と言われることがほとんどでした。特に「自分にはそんなことはできない」という趣旨のことを返されると、褒めてくれているのかもしれないけどどうしても線を引かれた感じがして、馬鹿みたいに気にしてしまっていました。

 

一方で、就活の面接などはわたしの話を聞くために設定してくださっている場なので、気を遣わずに自己表現をすることができました。わかってもらえなければ不採用にしてもらえばいいだけの話だし、と割り切ることもできた。とても自由でした。

 

この1年は大学での付き合いもほとんどなく、インターンやアルバイト先もそこまでフルコミットのものがなかった(ちょこっとずつ色んなところに顔を出す感じだった)ので、自分を説明することのコストはかなり抑えることができてしまっていました。

でも、4月から社会人になって、新しい環境になって、今回は当然フルタイム勤務でフルコミット。やっていけるかなぁ、と少し不安になります。

 

わかりあえる人がいること。深く共感してくれる相手がいること。なんでも話せる友だちがいること。わたしにはどれも遠い夢のように思えますが、もう充分すぎるくらいおとなの年齢だし、そういうことを見つけたいなと思います。そのために、まずは自分が、相手をわかってあげたいと思えるようにならないと。

そんな初歩的なものさすがに持っているはずですし、実際就活では「共感力が高いね」と言われることもしばしばありました。でも、いまのわたしには以前ほどその力がないのではないか、と感じます。最近自分のことで精一杯で、心がスランプなのかもしれません。

 

早くスランプを抜け出さなきゃ。「なんでもひとりでやりたい」は、強そうに見えて、時に恐ろしいほど脆弱なものだから。

 

焦ります😥笑

 

 

 

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