*この記事は別ブログからお引越ししてきた記事です。
今日は、最近わたしにまとわりついている、なんともいえない妙な感覚について書いておこうと思います。
残しておかないと、きっと忘れてしまうと思うので。
あっ霊感とかホラーとかの話ではありません!笑
ここ数日、道を歩いているときや家で一人で過ごしているとき、ふと変な気持ちになるんです。
それは、なんだか空っぽというか、空虚というか、心がおなかすいてるみたいな(笑)感覚です。
そのことを友だちに話すと、自分のことが他人事みたいに感じたりはしてない?大丈夫?と心配してくれました。
離人症などといって、前にそんな症状のものを聞いたことがあるので、彼女が心配してくれたのはそういうものについてなのかなと思います。でも、わたしの感覚は他人事に思えてしまうというのは違うかなという感じ。不快かと聞かれると、不快な気分でもない。
それでちょっと考えたのですが、いちばん近い感覚としては、「ディズニーランドから帰るときの気持ち」であるような気がします。
まあこう言ってしまうとディズニーランド好きかどうかにもよるので笑、ディズニーシーでもUSJでも楽しい飲み会でもなんでもいいんですが、
要は非現実的な世界から現実世界に戻るときの気持ちに近いんだと思うんです。
とはいえ、ディズニーランドなどから帰るときは思いっきりファンタジーを楽しんで翌日からの学校生活に引き戻される、という状況であるのに対し、
今回はバンクーバーをとても楽しんだものの、手放しでおとぎの世界を楽しんだというのではなく、それなりに面倒なことやしんどいことも含む、より生活感のある世界から住み慣れた現実世界である日本に戻る、という状況です。
だから厳密には違いがあると思いますが、「非日常から日常へ」という部分は共通なのかなと。
人生に一度しか取れないカナダでのワーホリビザ、残り1カ月であれもやらなきゃ、これもやりたい、という焦りもあります。
加えて、帰国してからの東京での住まい探しのことや、就活の準備についても考えなければならないので、多少頭がパンク気味というのもあるかもしれません。
そして、バンクーバーの街並みを歩くたび、「自分は数年後、きっとこの光景を焦がれるように思いだすだろう」というのも感じます。
ティーンエイジャーの頃はただ毎日のことしか見えず、あとから思いだすことなんて考えもしなかったけれど、だんだん歳を食いはじめると、自分がどんなことをなつかしく思い返すのかというのもわかってくるようになりました。笑
この変な気分はもう少ししたらおさまっていくのか、それともだんだん増していくのか。
まだわかりませんが、過去にも未来にもなるべく囚われず、現在を生きられるように努めようと思います。
…いちばん難しいことなんだろうけど笑
追記。
これを書いた直後、ちょっと驚くことがありました。
このあと元勤め先のジェラートカフェへ、タックスリターン(確定申告みたいなもの)に必要な書類のことでお願いに行きました。
韓国人のご夫婦がオーナーさんなのですが、お二人とも快諾してくださって。ジェラートとドリンクもごちそうになった上、さらにトウモロコシまでいただきました
まちがいなく、わたしがバンクーバーで出会ったなかで最も心のきれいな方々のうちの二人です。
お店はとても空いていたので、奥の席でお二人といろいろおしゃべりしました
わたしが今月ニューヨークに行くことを話すと、お父さんは「若い頃にニューヨークのような世界の中心の大都市に行くのはすごくいいことだよ」と言ってくれました。
それでね。そのあと、こうもおっしゃったんです。
「たとえばニューヨークに行けば、君は記念写真を撮るだろう。その写真は将来思い出として残り、ニューヨークのことを思い起こすのに良いだろう。だから、写真を撮るのはいい。
一方で、人は歳を重ねると、若い頃はよかったと思う。常にいまより若い頃を『よかった』と思い出す。」
"But, life is now and here."
でも、人生とは「いま」であり、「ここ」なんだ。
ついさっきまで自分が思っていたこと・書いていたこととちょうどぴったり合わさって、すとんと腑に落ちました。
こんなタイムリーなことってあるんですね。誰かがお父さんの口を借りて話しているのかも、なんて思ってしまいました。
この直後にお母さんが「トウモロコシあるけど持ってく?!」と遠くから割り込んできて(割り込んできてという言い方は失礼なのですが笑)、話が中断してしまったというオチつき笑 でも、とっても大切なことを聞いたという気がしました。
「いまを生きる」、陳腐な言葉・使い古されたフレーズだけど、胸に刻んでいこうと思いました。
わたしの十数年来の愛読書、『あしながおじさん』でも出てくるメッセージです。
みおり。
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