わーいわーい!みおりんです。
いつもお役立ち情報のお届けに努めているわーいわーい喫茶ですが、これからちょこちょことわたし自身のエピソードもお話しできればと思い、新シリーズ「みおりん昔話」(?)を始めました📚
初回はうちの母親の話。
世間では「東大生を育てる母親」だとか「東大生の親は高学歴・高収入」だとか言われますが、うちの母はそういったステレオタイプにはあまりあてはまらない人でした。天然ママなのでずっこけエピソードが多数…ちょっと、聞いてください!!🙀笑
▼父親の話
▼両親二人の話
もくじ
母は、いまだに娘が東大生であることを疑っている
わたし、一応東大に合格してから4年経つんですけど…。
東大の入学式って(ほかの大学もたぶんそう?)、特に出席をとったり一人ずつなにかを渡されたりするわけではないので、武道館での入学式に一緒に参加したにもかかわらず、母は「ほんとかなぁ」と怪訝顔。
東大では入学して半年くらい?でクラスの集合写真などが載ったアルバムが届くのですが、そこにわたしが写っていてやっと、「写ってるねぇ」と認めた…かに見えたのですが、
「写り込んだんじゃないの?」
と質問。えっ!そんなことする奴いないだろ!
「トンビが鷹を産むとはこのことか〜」と、自分なりに解釈している母なのでした。(べつに母はトンビではないとわたしは思うのですが、母は自己評価が低いんです😥)
母にとって「MARCH」とは、自分の車
以前ちらっと書いたのですが、いまだに忘れられないこのエピソード。受験界では、というか一般常識としておなじみの「MARCH(マーチ=明治・青学・立教・中央・法政大学)」という言葉ですが、母に向かってMARCHと言ったところ、驚きの返答が。
「マーチって車のこと?ママが前に乗ってた車?」
ママにとってのMARCH↓
そりゃ、これもマーチだよ!
正直このときはずっこけてしまって、「どうしてうちの親はこんなに頼りにならないのか」と思ってしまいました。ちなみに、母のほうが面白いのでこうして書いていますが、父はさらにもっと疎いです。(父のエピソードはこちら▶︎うちの「東大生の父親」がなんかおかしい件😥|年収も学歴もどうでもいい笑)
でも、いまとなっては、知らないでいてくれてありがとうと思うんです。両親は、大学受験に詳しくないからこそ、執拗にわたしの模試やテストの結果を聞いたり、ここの大学に行けと言ったりしないでいてくれました。
両親がわたしの受験に関してまったく期待していなかったはずはありませんが、わたしとしては「わたしが落ちても、誰もなんとも思わない」という状況が非常にありがたく、また常に自分の進路は自分で選んできたという責任感をもつことができました。だから、進学先にたとえギャップを感じたとしても、親のせいになんかしません。できません。
母は、東大受験の朝、わたしに猫と電話をさせた
だんだんオカルトみたいになってきた笑
浪人の東大受験当日のこと。わたしは一人で渋谷のホテルに宿泊しており、朝母に電話をしました。
しばらく励ましの言葉をかけてくれていた母でしたが、途中で急に
「ちょっと待っててねみおりん!たろうが来たから電話代わるね!」
いやいや、たろうが弟の名前とかだったらわかるんですが、たろうは…野良猫です。🙀
当ブログでときどき登場する、わたしの浪人期に急に寄りつくようになった猫ちゃんです。ちなみにこの写真は、母がいじわるして網戸の手前に置いたししゃもに、まんまと引っかかる可哀想なたろう。笑
びっくりして、「た、たろう!?」と電話口でわたしが言うと、なんと、、
🐈「にゃ〜〜〜〜」
な、鳴いた!!!笑
「たたた、たろう、ありがと!がんばるからね!!」と約束し、試験会場へと向かったわたしなのでした。
母が自分のダイヤと引きかえにくれたもの
母はこれまでもなんとなく感じていただいたとおり(?)、わたしがどこの大学に行こうが、学校でどのような成績をとろうが、べつにまったく期待していない感じの人でした。少なくとも、干渉されたことは一度もありません。(わたしから報告すればもちろん褒めてくれました)
そんな母でしたが、じつはわたしが幼かった頃には、おそらく世の中の母親の上位数%に入るのではというくらい教育熱心でした。教育熱心という言葉が妥当かどうかはわかりませんが😥
母は結婚前に、高額のダイヤを購入しました。本当に安月給で働いていたのですが、コツコツ貯めたお金で、「いま買えばあとで値が上がるよ」と言われて買ってしまったようです。
ここまでだと勧められるがままに無駄な買い物をしてしまったというように聞こえますが、じつはこのダイヤが、わたしの人生を決定づけました。
わたしが生まれると、母は「家庭保育園」という、名作の絵本がぎっしり詰まったセットなどから構成される幼児教育の存在を知りました。それが大変評判が良いこと、幼児教育には絵本の読み聞かせが良いことなどをずっと本などで読んで勉強していた母は、あのときのダイヤを惜しげもなく売り飛ばし、換金した代金でこれをまるごと購入してくれたのです。(ちなみに、ダイヤは高値にならなかったようです😥笑)
この絵本は、すべていまだに実家のわたしの部屋に並んでいます。じつは、高校時代から浪人時代も合わせて相当買い込んだはずの参考書をすべて数えたのですが、絵本の数にはまだ及んでいませんでした。それくらい、絵本はたくさんあったのです。
幼い頃、わたしは絵本をたくさん読み聞かせてもらい、ときには自分で読み(といっても文字が読めないので、読み聞かされた音を覚えてページに合わせて暗唱していたらしいです)、とにかく本に囲まれて育った記憶があります。
わたしがいまの人生をとおして最も好きなことは、文章を書くことです。中でも、物語を書くことが大好きです。その原点は、この絵本セットだったと思っています。
ダイヤを捨ててこれを与えてくれた母には、感謝しかありません。
母は、大根を切って数学を教えてくれた
最後に、わたしが中学生のときの思い出です。「この立体図形をこの線で切ると、断面はどんな形になるか?」って問題、よくありますよね。
わたしは立体図形がとても苦手で、どうがんばっても解けない問題がありました。どんな断面になるのか。。わからない。。と悩んでいたところ、キッチンで夕食を作っていた母が登場!
「この大根で試してみたらいいんじゃないかな。」
ほ?😳
おもむろに、大根を立方体の形になるよう切る母。
そして、「こことここで切るわけだから、ほら〜!」と、実際に問題を再現して切ってくれました。そこにあったのは、机上では理解できなかった図形の断面。
母はいわゆるエリート的な教育ママではありませんでしたが、こんなふうに、生活の知恵を使ってわたしの勉強に協力してくれることがありました。ちなみに、高校の家庭科の試験前には母と勉強することで、だいたいいつもクラス1位をとっていました笑
おしまい!
うちの母のエピソードをご紹介して来ましたが、いかがでしたか?いわゆる「東大生の母親」像とはちょっと違ったのではないでしょうか。
わたしはしょっちゅう友だちに母のへんてこエピソードを披露しては、「ママがおかしな人だと思われちゃうじゃん!!」と母に怒られているので、この記事が見つかったらやばいです。。笑 いやしかし、この記事を見つけられる情報収集力があったらそもそも「MARCHって車?」とは言わないはずなのですが。笑
今回はわたしの人生における母の教育をまんべんなくお話ししましたが、こちら↓の記事では幼児教育にしぼった内容をまとめました。
↑母は、わたしが将来「塾がいらない子にしてあげたい」と考えていたそうです。
ほかにもこんな記事を書きました!お役立ていただければ幸いです😊
ツッコミどころ満載のお母さんですね笑
面白いです