わーいわーい!みおりんです。
今回のお話は、私みおりんが自宅浪人から東京大学に合格するまでのご紹介。簡単なあらすじというか、「ああ、この人はこういう経緯で宅浪を決めて合格したのね」というイメージを持っていただければうれしいです。
元宅浪の東大生としてのみおりんの自己紹介と思っていただければ(°0°)
🎥動画版はこちらです。家庭環境から失恋の詳細までお話ししました。
地方の非エリート家庭から、自宅浪人で東大に合格するまで|大失恋したって受験に成功できる。
もくじ
高2の終わりに、志望校を東大に決定(2012年3月)
わたしが志望校を決めたのは、東大に入るひとのなかだとたぶん少し遅くて、高2から高3に上がる間あたりの時期でした。
なぜ東大にしたのかは別記事「みおりんが東大を目指した理由|無知と思い込みで決めた東大受験」で詳しく書かせていただきましたが、高2の夏には東大・京大・一橋大・早稲田大のキャンパスに遊びに行ったりしていました。(ちなみにその時点では、いちばん校舎の汚かった東大の志望順位は低めで、京大を目指そうかなと思っていました。)
当時は日本文学を学びたいと思っていたこともあり、志望科類は文科三類にしました。
また、わたしは文化部で部長をしており、運動部ほどではありませんでしたが公演前は比較的忙しい、みたいな部活ライフを送っていました。引退は高3の6月末と、文化部の中では遅めでした。
不合格だった現役受験(2013年2-3月)
しかし、東大一本に絞った現役時の受験では、なんと30点という大差で惨敗。
敗因はすごくシンプルに、するべき勉強が受験日までに間に合わなかったことでした。計画不足と情報不足、怠惰、いろいろな失敗が重なっての不合格でした😥
もともと落ちてしまったら宅浪をしようかなと漠然と思っていたこと、予備校からのビジネスライクな勧誘が多くて辟易してしまったこと、予備校で勉強するより自分でやったほうが効率がよさそうだと思ったことなどから、宅浪の道を選択しました。
宅浪にした理由はこちらの記事にまとめていますのでぜひ☺︎
▶︎東大宅浪中にやっていたこと【3月】|予備校の案内を古紙回収に出しました。
宅浪中【春】(2013年4-5月)
当初は、まだ宅浪を1年間貫き通すとは決めきっていませんでした。高校の先生にも宅浪は自己管理が大変だぞと脅されたし、自分でも完全な自信はありませんでした。だから、途中までやってみて、だめそうなら予備校に行く可能性もあるかなくらいに思っていました。
勉強自体は比較的スムーズで、自分のやるべきと思う勉強を粛々と進められている実感がありました。宅浪というのは模試でしか自分の立ち位置をはかれないのですが、このころはまだ模試もないので自分の実力がわからないというのはありましたが。
精神的にはまだこの時期は不安定で、よく一人で泣いていることもありました。いま思うとあほらしいんですが、当時は切実でした😥
というのも、高2から交際していた彼氏がたまたま同じ東大を受験していて、彼は現役で合格し、わたしは不合格に。しかも、受験前に「どちらかが落ちたら別れる」と決めていたんです😥
結局わたしを振るに振れなかった彼氏は関係解消を延期してくれましたが、やはり新生活が忙しいのか、わたしへの熱が冷めてきていたのか、連絡がまばらになり結構苦しい時期でした。
▶︎東大宅浪中にやっていたこと【4月】|川辺の散歩を楽しんでいました。
▶︎東大宅浪中にやっていたこと【5月】|勉強場所を探して三千里!
宅浪中【夏】(2013年6-8月)
浪人して初めて受けた6月頭の駿台全国模試。ここでわたしは現役のときから通して初の東大A判定を勝ち取ります。これによりわたしは自分の勉強方法で正しいようだと安心し、1年間宅浪を貫くことを決めました。
しかし7月頭に、彼氏から別れ話をされてしまい結局別れることに。2年ほど付き合っていたため、これはかなりショックでした(高校生の2年って結構長いよね??笑)。不眠状態が長く続き、親から病院に行った方がいいのではないかと心配されはじめた頃、やっと眠れるようになり病院までは行かず。ぎりぎりでした。
一方、勉強は順調で(眠れなかったので、勉強するしかなかった笑)、夏の東大模試では現役時では考えられなかったA判定を獲得し、上位者として名前の冊子掲載も達成することができました。苦手だったマーク模試もA判定をとりました。
▶︎東大宅浪中にやっていたこと【6月】|初めての模試を受けました。
▶︎東大宅浪中にやっていたこと【7月】|大失恋で、浪人生活最大の危機。
▶︎東大宅浪中にやっていたこと【8月】|みおりんの偏差値は35!?
宅浪中【秋】(2013年9-11月)
夏ごろから始めた勉強記録ブログで、受験生ブロガーの友人ができてよく交流していました。みんなにとても助けられていました。
10月などは結構余裕もあって、趣味にいそしむ時間もとったりしていました。
また、秋の東大模試でも順調に結果を残し、いずれもA判定を獲得。冊子掲載も当然のように果たせた自分がうれしかったのを覚えています。
▶︎東大宅浪中にやっていたこと【9月】|新恋人現る!?笑
▶︎東大宅浪中にやっていたこと【10月】|深刻な筋肉痛の原因は…
▶︎東大宅浪中にやっていたこと【11月】|月に3つの東大模試!!
宅浪中【冬】(2013年12月-2014年2月)
直前期ですね😳
センタープレでひどい点数を出したりしましたが、判定はいずれも良好でした。
また、このとき初めて予備校の講習というものに参加しました。駿台の世界史と日本史をとり、3泊4日で御茶ノ水のホテルに滞在していました。
そんでもって、ああやっぱり予備校行かなくてよかった、と思いながらもたくさんの収穫をもって地元に帰り着きました笑
1月、センター本番。正直、かなり失敗した実感がありました。帰り道で絶望しながらバスに揺られていた記憶がいまでも残っています。
でも、結果は平均点もどうやら下がっていたようで、わたしの点数がすこぶる悪いということではなかったことがわかり、そこから持ち直してまた二次の勉強に勤しみました。
2月、東大二次本番。最後の英語でまた大失敗した感覚があり、後味の悪い思いで帰りました。また、同じ日に併願の早稲田(文学部)の合格がわかりました。
▶︎東大宅浪中にやっていたこと【12月】|迫るセンター、焦るみおりん。
▶︎東大宅浪中にやっていたこと【1月】|撃沈と這い上がりのセンター試験
▶︎(最終回)東大宅浪中にやっていたこと【2月】|いよいよ東大入試本番!!
晴れて合格となり、東京進出😎(2014年3-4月)
3月、自分の感覚値では合格と不合格の可能性は半分半分くらいだなと思っていたのですが、結果的には合格することができました。
▶︎合格前夜の日記
そうそう、わたしの現役受験のあと、校舎の工事かなにかの関係で東大は数年間にわたりキャンパスでの合格発表を中止しています。
じつはこの中止前最後の年が現役受験(不合格)、中止1年目の年が浪人受験(合格)の年だったわたし笑 つまり、自分の不合格はキャンパスで知ったのですが、合格はWeb上でしか確認できなかったのでした笑(もちろんそのあとに紙で通知は来たけど。)
そして晴れて上京。わたしは東大に受かりたいという気持ち以上に、東京で一人暮らしをしたいという気持ちのほうが強かったので、新生活の準備をしている時間は最高に幸せでした。
元彼にも合格を報告すると、かつて東大受験の同志であった彼は非常に喜んでくれました。(よりは戻してません😈)
こんな感じで、わたしは宅浪の1年を過ごし、そして合格しました。
なんらかの参考になれば幸いです😊
🎥動画版はこちらです。家庭環境から失恋の詳細までお話ししました。
地方の非エリート家庭から、自宅浪人で東大に合格するまで|大失恋したって受験に成功できる。
▼宅浪体験記・宅浪勉強法の記事はこちら
はじめまして、みおりんさん!
実は、私はみおりんさんと同じく地方出身の女子で、現役時東大文三に30点差で落ちた宅浪生でした。(同じ境遇ですね…笑)周りに宅浪生がほぼおらず、先生にも反対されてずっと不安でしたが、みおりんさんのブログに励まされ、今年見事合格することが出来ました。本当にありがとうございました。これからのご活躍も応援しています!
えぇ、宅浪・地方・女子・30点差・文三とまで共通している子に初めて出会いました…!笑
わたしまですごく励まされました。本当におめでとうございます、すごいです!!
大学生活もその後の人生もきっとどんどん楽しくなると思います。これからも応援しています!!
私は中学生ですが、私もみおりんさんみたいに強い心を持って勉強を頑張っていきたいです!!
すごく感動しました