最近YouTubeでの活動をするにつれて、コメント欄やメッセージで「みおりんさんは女子力が高いですね」と言われることが増えた。
でも、わたしは自分のことを「女子力が高い」なんて1ミリも思ったことがない。むしろ小学生くらいの頃から、ずっと「男みたいだね」と言われてきた。
べつにわたしは男っぽくも女っぽくもないと思うけれど、「女子あるある」みたいなネタがほとんど理解できないから、やっぱり女の子の世界には入れなかったんだな、と感じます。
まあ当たり前だと思う。女の子の不文律や暗黙の了解に、全然共感することができなかったから。
わたしには、「ひとに話を聞いてもらいたい」という感情がほとんどありません。あ、ここで言う「話」というのはプライベートな相談ごとや雑談のことです。勉強法やノート術に関する情報発信は全力で伝えているので、そういうときの発信はもちろん聞いていただけたらうれしい。。笑
よく、「女性は『相談がある』と言っても結局話を聞いてほしいだけ」みたいなことが言われますが、あれにずっと共感ができませんでした。わたしは、「相談」をするときには明確な解決策を求めています。間違っていてもいいから、解決策として考えられる案を提供してほしい。逆に、誰かに「相談」をされたときには全力で一緒に考えます。
だからなにか困ったことや迷っていることがあるとき、話をするのは決まって先輩や上司だった。自分より知識や経験がある方に相談すれば、自分が考えたことのなかった視点からアドバイスをもらうことができます。そしてその人をすごく尊敬してしまう。笑
でもこれに共感してくれるのはたしかに男友だちばかりで、女友だちからはたいてい「いつも事後報告だね」とか「冷たい」とか言われます。秘密主義だと誤解されることもありました。(秘密なんか何もなくて、ただこちらから話さなかったというだけなのだけど😥)
2年くらい前に同じようなことをこのブログで書いた気がするけど、たぶんわたしには、「共有したい」という感覚があまりないのです。プライベートを話したり、お気に入りのものを紹介したり、「あれ超いいよね〜!」と言い合ったりしたいという感覚。ときどき共通の趣味や話題で「わかる、あれ大好き!」みたいな会話で盛り上がっている人たちを見ると、楽しそうだなぁ、とは思うけど、うらやましいなぁ、はまったく感じなくて。というか、なぜそんなに盛り上がるかがわからないのです。自分と共通のなにかを持っている人に対して抱く感情って、そんなに熱いものなのかな…?と思ってしまいます。
むしろわたしは、自分が全然知らないようなものを教えてくれる人に惹かれます。こんな世界もあるんだ、と知ることってとても楽しい。初めてのことにはたいてい興味をそそられるので、よっぽど下品な話でなければどんな話題でもうれしいです。
わたしはよく、自分の二面性みたいなものが不思議になることがあります。たぶん誰にでもあると思うのだけど、「自分ってすごく大胆なところとすごく臆病なところがあるな」みたいなやつです。
「共感」の話で言うと、わたしはリアルでもYouTubeなどの活動でも、よく「共感力が高い」と言われることがありました。たしかに、たとえば「やる気はあるのに勉強が手につかないんです」みたいな相談をいただけば、「めっちゃわかる。わたしもそうだった」と答えますし、これは本当に心から共感しています。読者さんや視聴者さんに失礼なことはしたくないので、本当に共感していないときには「わかる」とは言いません。
一方で、先ほど書いたように、「それわたしも好き!」みたいな共感力はあまりありません。わたしはコーヒーが大好きですが、同じコーヒー好きの人がいても、「同じだね」とはなりますがコーヒーについて語り合いたいとは思いません。コーヒーの魅力についてその人から語られたとしても、雑談としては楽しく聴きますが、それ以上の感情が湧くことはあまりないなぁと思います。
日常的にこういう「わたしって結局どっちなんだろう」みたいなことがいろいろな面で多くて、あなたってどんな人?と訊かれるとよくわからなくなります。共感力が高くて、共感力が低い人。積極的で、消極的な人。楽観的で、悲観的な人。みたいな。
わたしは大学時代、就活をものすごく楽しみました。いろいろな企業の人と話せることが楽しくておもしろくて、普段は自分の話をするのが得意ではないけれど、面接はわたしの話を聴くことが相手の目的である場なので、自分のことを進んで話すことができました。そんな場面、日常にはほとんどないなぁと思った。いつも、この話は相手にとって需要があるだろうか、と考えてから話すのが当たり前だったから。
でも、そんな就活の面接で、わたしが一つだけうまく答えられなかった質問がありました。
「まわりの友人から、あなたはどんな人だと言われますか?」
これだけは、上手な回答がなかった。なぜなら、わたしに対しての講評は人によって全然違うことが多かったから。「慎重派だよね」と言う人がいる一方で「大胆だよね」と評する人がいて、「社交的な人だね」と言われたかと思えば「内向的なんだね」と言われることもあったりして。なんだかそんなことが多すぎて、そのまま面接官に伝えたら多重人格を疑われそうな気がしました。笑
よく考えたらこんなに評価が分かれるのは当たり前だったのかもしれなくて、わたしは自分からそこまで話をしないので、ある人には慎重派な側面だけが見え、ある人には大胆な側面だけが見えるような感じだったんだろうなと思います。わたしのことを本当によく知っている人って、家族と、大学時代に3年半付き合っていた元彼だけだと思う。親しい人はもちろんたくさんいるし、大好きな友だちも恋人もいるけれど、現時点でわたしを知っている人たちではないだろうなと感じます。というか、向こうもべつに知りたかないだろう、と思ってしまうので自分から話すこともあまりできません。
よくわからないのだけど、「自分のことをなんでも知っている友だち」がいる人って世の中にどれくらいいるんだろう?あるいは、「なんでも話せる友だち」がいる人ってどれくらいいるんだろう?意外とみんないないものなのかなぁ。全然わからないや🙄
友だち関係について中高生の方から相談をいただくことも多かったので、ふと思ったことを書き留めてみました。とりとめもなくてごめんなさい。
なんかこの手のことを書くとすごく根暗の冷たい人みたいな文章になる気がするのはなんでだろう🙄笑
みおりんさん!YouTubeはほぼ全部観ましたが、ブログは読んだことがなく、初めてコメントします。
『手紙屋』という小説で読んだのですが、人間はすべての性質を持っていて、それを接する相手によって出したら引っ込めたりしているのですって。
例えば、自分がAさんには優しさレベル95/100で接することができても、Bさんには優しさレベル5/100でしか接することができなかったら、Aさんからは優しい人、Bさんからは冷たい人と「思われる」だけだとか。
それなので、「周りの人からどう思われているか」という面接官の問いは超難題だと感じました(笑)
勇気があったら、「逆にあなたは私のことどう思いますか」と問うてみたいものです。
はじめまして!
”「ひとに話を聞いてもらいたい」という感情がほとんどありません。”という一文に、大変共感しました。
「女性は『相談がある』と言っても結局話を聞いてほしいだけ」という意見には、みんながみんなそうだと思うなよ!と思ったことがあります
みおりんさんは、”これに共感してくれるのはたしかに男友だちばかりで、女友だちからはたいてい「いつも事後報告だね」とか「冷たい」とか言われます。”と書かれていましたが、私はそもそも、この感情について誰かに相談したことがありません。
ですので、記事を読んでいて、もしかすると、こういう感情を持つ人は意外とたくさんいるのかなぁ…と思いました。
思い返すと、学生時代の友達に、あぁもしかしたらあの人も…と思い当たる人がいます
(ですが、彼女とそういう話をすることは、一生無い気がします)
「相談できる相手」や「なんでも話せる友人」が、良い友人であるとも限らないのだと思いました。
すごくいろいろ考えさせられる記事でした。ありがとうございます。
最近YouTubeやブログを拝見しています
とっても長くなってしまいました
陰ながら、これからも応援しています
コメントありがとうございます:)
>「相談できる相手」や「なんでも話せる友人」が、良い友人であるとも限らないのだと思いました。
たしかにそうですよね。。友人関係って奥深いなぁと思います。
共感していただけると思わなかったのでなんだかうれしいです。ありがとうございます☺︎
ブログ、YouTubeも見ていただけてとてもうれしいです。
これからもがんばります〜!
とても興味深い記事でした。
私も、大好きな友達や、家族でさえ私のすべてを知っているかといわれるとそうではないなと感じます。
というか私の場合、もはや自分ですら自分のことをよくわかっていないのかもしれないです笑
自分のことをすべてわかっている人なんて、自分も含めこの世にいないし、いなくてもいいんじゃないかなあというのが私の意見です。
みおりんさんの考え方が知れてとても面白かったです!
コメントありがとうございます\( ˆˆ )/
わたしも芋けんぴさんの考え方に近いかもしれません。よく「自分のことがよくわからない」「自分のことを誰もわかってくれない」という人がいますが、そんなのそもそも必要ないような?とも思います
読んでくれてありがとうございました(●ˊᵕˋ●)