わたしはよく、浪人生の子たちからこんな質問をいただきました。
「突然不安が襲ってきたり、心がつらくなったりしたとき、みおりんさんはどうしていましたか?」
こうした浪人生の多くに共通しているのが、かなり悲観的にかまえているということです。「いま自分はすごくつらい」という認識を持っている人が多い。わたしもそうでした。
これは一つには、世間が植え付けた妙な定説がいけないと思っています。浪人生ですと言えば、「大変ね、つらいね」という目で見られる。でも、ほんとにそうなの?ってわたしは思います。
浪人生活は大変だよ。勉強がほぼ唯一の仕事なので、そこから逃れる手段がなかなかないし。自分の嫌なところを見つめなおさなきゃいけなかったりもする。
でもそれは、「浪人生活=つらい」なのですか?
わたしは違うと思う。
受験なんてふつうみんなつらいの。現役生だってつらいし、浪人生だってつらいし、親御さんだってつらいんです。あなたが浪人したからつらくなったわけではない。あなたがつらくなったのは、あなたのせいではありません。
めっちゃつらくていいじゃん、とわたしは思っています。だって、いまつらければつらいだけ、そのあとが楽になります。わたしは浪人時代、前半でとてもしんどい思いをしたぶん、後半は「あれだけしんどくてもなんとかなったんだから、なにも怖くない」という気持ちでいることができました。
つべこべ言わずにいま苦労してください。若いころの苦労は買ってでもしなきゃだめなの。それにこの先、もっと大変なことなんかいっくらでもある。わたしはまだ23,24年しか生きていませんが、それでも浪人してたときより大変なことはいろいろありました。
冒頭の質問に戻ると、浪人生のときにわたしを支えていたのは、「いまが最悪ではない」という気持ちです。
この先70年とかもしかしたらあと100年くらい生きるかもしれないのに、いまが最悪なはずない。こんなんでやられちゃってたら、あんたこの先どう生きるのよ!と自分に喝を入れていました。
中には、本当に本当に病んでしまって、いまが最悪と呼べる状態の人もいるかもしれません。そういう人は、一度こう考えてください。いまが最悪なら、もうあとは上がっていくだけだ、と。そしたらなにも怖くないはずです。
それからもう一つ、言えることがあります。
家庭ごとにいろんな事情はあるにせよ、浪人をさせてもらえている人は概して幸せな人です。
中には、家庭の経済状況や親の偏見などで、大学や好きな学校に行くという選択肢をあきらめなければならない人もたくさんいます。すでに別の記事でも述べているように、わたしの両親もそうでした。
わたしはてっきり、両親はそろそろそのことをあまり悔やんだりしなくなってきているのでは?と思っていました。もう二人とも50代ですし、高3の時期なんて30年以上昔の話なので。
先日父と飲んだとき、父に訊きました。「お父さんの人生で挫折があったとしたら、それっていつ?」
父はこう答えたんです。大学に進めなかったときだ、と。
大学に行きたかったのに行けなかった、という思いはおそらく一生つきまとうのかもしれません。それを挫折と言わずになんと言うんだろう、と思いました。それに比べて、行きたい大学を受けて、落ちて、もう1年ないし2年なり3年なり勉強させてもらえている浪人が挫折だなんて言ったら、ほんとにバチが当たるよ。勉強を仕事にさせてもらえるなんて、世界人口のいったいどの程度が享受できる幸運なのか。
最後に、これはかつてある浪人生の子に贈った言葉でもあるのですが、受験結果によって大切な人と離れてしまった人にお伝えしたいことがあります。
ついこの間まで一緒に学校生活を歩んでいたのに、とか、いまはこんなに隔たってしまった、と苦しい気持ちがあると思います。
でも、本当に大切な人なら、ちゃんとまた会えるから。絶対に大丈夫です。しんどさの先に、前みたいに取り戻すの。そのためにいまは勉強をちゃんとがんばればいいんだから。そんな大事なことのために勉強をがんばれないでどうするの!
と、経験者は語る…のやつでした!笑
わたしの浪人時代の日記を一部、こちらの記事で紹介しています。東大の合格発表前日に書いた思いです。
浪人についてはいろんな議論があると思いますが、一意見として参考にしていただければと思います。
「こういうふうに考えることができると合格が近づくよ」という考え方のコツは、こちらの記事にまとめました。
コメントを残す