同級生が亡くなるのは、わたしには初めてのことだった。
彼の訃報がまわってきたのは、大学時代のクラスLINE。東大には入学時に科類と第二外国語によるクラス分けがあって、わたしたちは文Ⅲフランス語の同じクラスだった。
3年生から進学した先の学科同期ではじめに連絡があったらしく、彼と進学先が同じだった同級生からクラスLINEで共有された。でも、その子も彼が数日前に"不慮の事故"で亡くなったこと、すでに彼の地元でお通夜が終わっていて、翌日告別式があるということしか知らないのだと言った。
なんだか驚きすぎて、なにも言えなかった。息が詰まった。涙もこぼれた。
クラスの中心的人物だった彼。すごく俗っぽく言うならいわゆる「一軍」みたいな男の子で、でもみんなに分け隔てなく接してくれる人だった。なんでも要領よくこなしているイメージで、女の子との噂も絶えなかった。
彼が亡くなったって聞いて、わたしはなんでこんなに悲しい、虚しいんだろう。
なんなら、わたしは彼とそんなに反りが合うほうでもなかったと思う。どちらかというと自信家で意識の高い人、みたいな印象もあった彼には、わたしは少し苦手意識を抱いていた。いい人なのはわかっていたので、単純に気後れしていただけかもしれないけれど。
それなのに、彼の訃報を知ってわたしはこんなにどうしようもない気持ちになっていて。
いま立っている地面が底抜けになってしまうような恐怖にとらわれるの。
東大は、入学すると入学式より前にクラスの顔合わせがあるんです。「上クラ(うえくら)」と呼ばれる、縦割りで1学年上のクラスが面倒をみてくれて。上クラと下クラで合宿に行くんだけど、その前にみんなが顔を合わせる機会があるのね。
新入生は2人ずつ、自分のクラスの上クラ代表のいる受付みたいなところに最初に通された記憶がある。そこで一緒だったのが、彼だった。だからたぶん、東大に入ってわたしが初めてしゃべったのは彼だったと思う。なんだかおしゃれで気さくで、この人モテそうだなぁと思ったのと、彼が青いスポーツジャンパーみたいなものを羽織っていたのを覚えてる。
クラス合宿や飲み会、普段の授業でもいつも彼は中心にいて、時にはなにかを仕切ったり、話題を提供したりしてくれた。あのとき東大に入学したばかりのわたしたちはみんなきらきらしていて、希望に満ちていて、少しだけだらけていて、まさかその6年後にこのなかの誰かが死んでしまうなんて考えもしなかった。しかもそれが、授業にサークルにバイトにと誰よりも忙しく充実した生活を送っているように見える彼だなんて思いもよらなかった。
本当は少し、彼と自分を重ね合わせたのだと思う。
あの人は、生き急いでいるように見えた。入っているサークルは片手間では難しそうなスケジュールのものだったし、アルバイトは学生店長みたいなことをする本格的なものだった。わたしが知っているだけでそれほど忙しかったのだから、わたしの知らないところではもっと忙しかったのかもしれない。
どうして亡くなってしまったのかいまはわからないし、たぶんこれからも理由を知らされることはないんだと思う。でも彼の訃報を聞いたとき、まさかという気持ちと、やっぱりという気持ちが両立したような気がした。やっぱり、というのは、生き急いでいる人は早く逝ってしまうという、あれは本当だったのかなという気持ち。
わたしは昔弟に何度か、そんなに生き急いでると早死にしちゃうよ、無理しちゃダメだよと言われることがあった。実際はだらけている時間もよくあるからそれほどがんばっているわけでもないけど、それこそバイトを4個も5個も掛け持ちしたり、カナダにワーホリをしに行ってみたり、突然カンボジアの起業家イベントに行ってみたり、端から見れば生き急いでいるように見えることもあったのかもしれない。
ちょうど最近もたくさんの新しい挑戦が重なっているタイミングで、いま自分の人生のなかでは結構な転換期にいるような気がしていたからか、弟の「そんなに生き急いでると早死にしちゃうよ」が耳に蘇ってくるような錯覚に陥って。
最後に会ったのがいつかさえ思い出せない彼。クラスの付き合いをもともとあまりしていなかったわたしは、飲み会にも1,2回しか行かなかったし、誰がいまどこでなにをしているのかもほとんど知らない。だからクラスLINEで知らせを受けたとき、どんなにショックだったか、どんなに悲しいか、どんなに彼の冥福を祈りたいかを発言することができなかった。実際彼との接点はこの4,5年間ないに等しかったし、なんならもし彼が天国に行く途中でいまのわたしを見たとしても、「この人泣いてるけど誰だっけ?」と思っている可能性もゼロじゃないのだ。
でもそんなことはどうでもよくて、わたしは少しだけ人生で交わりのあった人間の一人として、25歳という若さで亡くなった彼が、違う世界でもいいから幸せになってほしい、彼のご両親やご家族の悲しみが一日でも早く癒えてほしいというのを、誰とも共有できずにひとりで強く祈っている。ほんとは死なないでほしかった。たぶん彼がこんな亡くなり方をしなかったら、一生会うことも、彼のことを思い出すこともなかったのだろうけど。なんだか皮肉なものなのね。
彼の地元は東京からとても遠くて、クラスのメンバーはたぶん誰もお葬式に行くことができなかった。というより、そもそも大学の同級生が亡くなった場合、葬儀に参加することはほとんど無理なのだろうということがわかった。今回学科で連絡があったというのも少し驚いた。だって、もしわたしが今日亡くなったとして、法学部の人たちに連絡がいくのかな?わざわざわたしの両親が東大に連絡をするとは思えないし、おそらく知りようがない気がする。
仮に知ったとしても、今回の彼のようにわたしの葬儀もきっと地元でおこなわれるはず。でも地元でやったら誰が来てくれるんだろう…?わたしは地元にほとんど友だちがいないので、来るのは(それも本当に数えるほどしかいない)親戚だけになってしまうんじゃないんだろうか。
上京してから出会った人とは、お互いお焼香もできないものなのかな。よっぽど親しくて葬儀より前に訃報を知っていれば別だろうけれど、そうでない限り後から知るか、そもそも亡くなったなんて情報は一切入ってこないものなんだろうか。
なんだか悲しいよね。わたしがお葬式に来てほしい人とか、わたしのお葬式なら行きたいと思ってくれる人とか、両親が知るはずないもの。それこそエンディングノートみたいなものを書いておいたほうがいいのかもしれない、自分が死んだらこの人に知らせてほしいとか、Facebookでこう伝えてほしいとか、なにか用意しておいたほうがいいのかもしれない、なんて思ったよ。
"不慮の事故"がどんな事故だったのか、本当に事故だったのか、わたしにはなにもわからないけど、たしかなのは、才能にあふれる若い命が突然なくなってしまったということ。それを思うだけで、食欲がなくなってしまうくらい息苦しい虚しさに襲われる。なんでだろうね。あなたはわたしのことなんてほとんど覚えていないだろうに。わたしも1つか2つくらいしか、思い出せるエピソードはないのに。
でもなんだかすっごく悲しいよ。こうしてどこかに吐き出さないと、気持ち悪くなってしまうほどに。
死んでほしくなかったよ。ねえ。
(追記:2021年2月9日)
先日同級生の友人に会い、彼の亡くなった理由が本当にいわゆる「不慮の事故」であったことがわかりました。なにもすっきりなんてしないし、悲しみに変わりはないけれど、事件性のあるものや自死ではなかったことを聞けて少しだけほっとした。あなたが天国で少しだけゆっくりしてくれていたらいいな。わたしのことなんて覚えていなくていいから。
私の大学時代の同級生も大学2年の春休み中に亡くなりました。誕生日に亡くなったそうです。理由はいまだに分かりません。(事故や事件では無いです)
幸いと言ったら失礼ですが、在学中だったので、お通夜には参加しました。(葬式は地元で行われましたので、参加出来ませんでしたが。)
私が大学に入ってから初めての友達だったので、とてもショックでした。
その人も生き急いでいる感じで将来が有望な人だったので、神様は何て残酷な事をするのだろうと思いました。
彼が亡くなって3年が経ちます。彼の分もと言ったらなんですが、精一杯生きていこうと思います。
中3女子です。
私も同級生の男子が2月下旬に亡くなりました。コロナの緊急事態宣言で休校になってすぐに私たちの学年は1クラスずつ集められて先生方から伝えられました。不慮の事故と噂されましたが本当のところは分かりません。
私は彼と中1のときに同じクラスで一緒に学級委員をやっていたりもしました。でも、よく喋っていたわけでもなくて、みおりんさんのその気持ちがとても分かります。彼と仲の良かった人たちはかなり辛そうでしたが、私はそれを見ているだけ…
半年経って、だんだんと私の記憶から彼のことが抜けていきます。とても怖いです。
長々とすみませんでした。私もこのことをどこかに吐き出したかったんです
よのさん、こんにちは。お返事が遅くなってしまってごめんなさい。
コメントをありがとう。しんどいよね…気持ちの整理をつけるのは難しいし、どんな整理をつけるべきなのかもわからないし。いちばん親しかったわけでも逆に対立していたわけでもない、微妙な立場なのも難しいよね。。
わたしも少しずつ彼の死のことが抜けていって、怖い気持ちになります。
でも、ときどきかもしれないけれどこれからも思い出すことは何度もあると思う。…から、それだけでも少し供養になるのかなって、いまは思うしかないかなって。悲しいときはまたどこかに吐き出してね。わたしもそうしようと思います。